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杖も呪文もいらなくなった世界で、機械仕掛けの魔法使いたちは希う
杖も呪文もいらなくなった世界で、機械仕掛けの魔法使いたちは希う
Author: Runa

未来は空にある 01

Author: Runa
last update Last Updated: 2025-11-26 14:00:00

 いつからだろう。

 あなたの眼差しが、こんなにも遠くなってしまったのは。

 鋼鉄のマスクが、淡い光を冷たく反射する。

 すれ違う瞬間、ほんの一刹那——視線が触れた。

 だけど、そこにあったのはあの優しい光ではなくて、まるで心を切り裂くような、鋭く冷たい刃のような輝きだった。

 以前は違った。

 あの眼差しは、柔らかくて、温かくて。

 見つめられるだけで、心が静かに温まった。

 その眼差しが好きだった。

 今は、私を拒むためにだけ存在しているみたい。

「……ねぇねぇ——」

『——話したくない』

 あなたの機械混じりの声は、空気に溶けて消えた。

 そして私の声だけが、虚空に取り残された。

 廊下をすれ違う度、あなたは視線を逸らした。

 学生が皆まとっている漆黒の羽織の袖が、触れそうな距離を掠めても——

 それでも、あなたは私を見なかった。

 声をかけても、返事はない。

 まるで、最初から私なんて存在しなかったみたいに。

 あなたの背中が遠ざかる度、世界から音と色が抜け落ちていった。

 いつもなら立ち止まってくれたのに。

 小さな声でも、ちゃんと聞いてくれたのに。

 そのうち、呼び止めようとしても、喉が震えるだけで声にならなくなった——

 どうして。

 どうして——カナタ。

 どうして、そんな目で私を見るの。

 ◆ ◆ ◆

 ここは初等部の六年生の教室。大きな窓から差し込む午後の陽光が、広々とした室内を温かく照らしている。

 木の机と椅子が整然と並び、教室の前方には巨大なスクリーンが設置されていた。

 先生はその端に立ち、生徒たちの視線を集める。

「——それでは次に、私たちの生活に欠かせない魔械義肢《マギアぎし》と魔械歯車《マギアギア》について勉強しましょう」

 先生の声が教室に響く。

「私たちはみんな、生まれた時から、片方の腕か、もしくは膝から下の脚がない状態で生まれてきます。それはなぜか、覚えている人―?」

「「はーい!」」

 教室のあちこちから、勢いよく手が挙がる。呆気に取られているうちに、先生はその中のひとりを指名した。

「大昔の人たちが治癒魔法に頼りすぎたせいで、体が弱くなったからです!」

「そうですね。治癒魔法に過剰に頼った結果、人間が本来持っていた免疫機能——自分で病気やケガを治す力が弱ってしまったのです。では、どうしてそれが腕や脚を失うことに繋がったのでしょうか?」

 今度は誰も手を挙げない。「うーん」とうなる子や、隣の子と小声で相談しあう姿があちこちで見られる。

 少しざわついてきた教室を、先生の声が再び静けさに戻す。

「じゃあ、今日は何日だったかな……はい、それでは莉愛《りあ》さん、お願いします」

 莉愛《りあ》。私の名前だ。

 問題の答えは知っている。でも、今日という日付が、少しだけ恨めしい。

「はい、えっと……魔法使いが免疫機能を治したけど、その代わりに腕や脚を維持する力がなくなってしまいました」

「はい、その通りです。人々の体がどんどん弱くなり、それに伴って人口も減ってしまいました。そこで、大昔の偉大な魔法使いたちが見つけてくださった解決策が、今の私たちの姿です。魔械義肢《マギアぎし》は、失った腕や脚を補うためのパーツであり、魔法を使うための重要な魔械機器《マギアきき》なのです。」

 私たちの“今の姿”。私の場合は、生まれた時から左腕がなかった。だから、私の左腕は義肢になっている。

 確か三歳くらいの時、右手での生活が安定したタイミングで装着された。魔法で眠っている間に施されて、目を覚ました時、初めて自分の義肢を見た。

 その時の衝撃は、今でもはっきり覚えている。

「魔械義肢《マギアぎし》は、脳からの信号を“人工魔法石”の魔力と、“天然魔法石”の地脈力を、魔械歯車《マギアギア》によって調和させることで、安定的かつ効率的に動いています」

 先生の説明を聞きながら、生徒たちは自分の義肢を動かしてみる。教室には、微かな金属の音が響いた。

「細かい作動の仕組みは中等部や高等部で学びますが、魔械車《マギアカー》や魔械飛空挺《マギアシップ》など、他の魔械機器《マギアきき》も同じ原理で動いています。備え付けられた魔法石と魔械歯車《マギアギア》を、私たちの魔力を通して起動させているんですね」

「つまり——魔械義肢《マギアぎし》を使いこなすためには、私たちが“魔法使い”であることが必要不可欠なのです」

先生は一呼吸置き、続ける。

「私たちは、生まれた時から魔法が使えたわけではありません。実はお父さんやお母さんが、赤ちゃんに魔法が使えるように“魔法”をかけてくれているのです」

「昔は、魔法使いになるかどうかは家族や師匠の判断に任されていました。でも今は、生きるためにも魔法を使えなければなりません。だから、みんな魔法使いとして育つのです」

 大昔は、棒のような道具を使って魔法を操っていた時代があったらしい。治癒はもちろん、炎や水、雷を操り、日常や仕事、戦争にも魔法が使われていたみたい。

「過去の教訓を生かして、今の魔械義肢《マギアぎし》には“治癒魔法”や“自然魔法”は使えないように制限されています。現在私たちが使えるのは、『視覚』『聴覚』『触覚』『嗅覚』『味覚』の五感を基にした魔法だけです」

 すると突然、ある男子生徒が勢いよく手を上げた。

「はいはいはーい!」

 先生が指すよりも先に、男の子は勝手に話し出す。

「五感魔法の全部を使えない人っているんですかー? 例えばぁ、鼻とか口が無かったら“三感魔法”とかになっちゃうの?」

 男の子といつもつるんでいる連中が、クスクスと笑い出す。嫌な笑いだ。腹の底がざわつくような、苛立たしい音。

 先生はやや困った顔を浮かべながらも、真っ直ぐその男子生徒を見た。

「まず拓斗《たくと》くん、質問をする時は先生が指してからにしましょう」

 拓斗《たくと》はふてくされた表情を見せるが、先生は静かに続ける。

「それから、この答えはあくまで先生個人の見解になりますが……恐らく、拓斗《たくと》くんが言うような状態では、確かに“三感魔法”になるのだと思います」

 再びクスクスと笑い声が上がる。

「しかし——」

 先生の声に、ピンと教室の空気が張り詰めた。

「人間の脳は、失われた感覚を補うように、他の感覚を鋭くする力を持っています」

「例えば目の見えない人は、『聴覚』や『触覚』がとても敏感になり、魔法を使わずとも、音で空間の広さを測ったり、背後にいる人の気配を感じ取ったりできるようになるそうです」

 生徒たちが目を輝かせながら、先生の言葉に耳を傾けている。

 先生がスクリーンを映すための魔械機器《マギアきき》を操作する。大型スクリーンには、五感魔法のレーダーチャートが映し出されていた。五角形のグラフは、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の力を均等に示している。

「もし、五感のうちの一部が使えなければ、その分の魔力が他の感覚に“再配分”されているのかもしれませんね」

 先生の言葉にあわせて、グラフの形が変化する。嗅覚と味覚の部分が凹み、視覚や聴覚の数値が伸びて、グラフがいびつな形になる。

 それを見た生徒たちから、「おぉーっ」と感嘆の声が漏れた。

「そんな人はきっと、近いうちに『高度魔法』を使いこなす日が来るのかもしれませんね!」

《キーン、コーン、カーン、コーン———》

 授業終了を告げるチャイムが鳴った。先生は魔械機器《マギアきき》を操作し、スクリーンを消す。

「では今日はここまでです。先生は教材を片付けてきますので、みなさんは帰りの準備をしてください」

 教科書と魔械機器《マギアきき》を抱え、先生は教室を後にした。私も鞄を取りに、教室の後ろのロッカーへ向かう。

『——莉愛《りあ》』

 名前を呼ばれて、私は足を止めた。ゆっくりと振り返る。機械混じりのその声は、私の耳に真っ直ぐ届いた。

 そこに立っていたのは、一人の男の子だった。

 淡い陽光の下、その顔は、鋼鉄でできたマスクに覆われていた。鼻から顎へ、そして耳の手前にかけて、なめらかに繋がるその表面には、魔力を通すための細やかな蔓模様が、静かに光を反射している。

 目元だけがはっきりと見えていて、そこには迷いも戸惑いもなく、ただ真っ直ぐに、私を見つめる視線があった。

「何? ——カナタ」

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